海とロジック

海のそばで暮らすために必要なロジックを解明するブログ

オフロ作戦で気付いた、30代で失う「ある感覚」

いやぁ…続けるのってなんて難しい!

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1本しか書いてないのに、いきなりリアルに挫けそうになったので「書く楽しみ」を、記憶の彼方から、引っ張りだして、手繰り寄せて、かき集めて、自分を、誘導する始末。

 

「ある感覚」の話。

 

昔々…若い頃、学生時代、20代前半。自分にとっては、ついこの前って認識だけれど実はきちんと年数がたっちゃってる頃、毎日のように触っていた、ある「感覚」があった。

 

その「感覚」を触っている間は、時間を完全に忘れて、融通無碍になることができた。

喜怒哀楽が研ぎ澄まされるし、クリアーになれるし、細くて頼りないけれど自分の軸を実感することが出来て、やがて頼りにするようになっていった。

 

その「感覚」には、酔えば必ず会えることに気づいたので、会いたい時には、1人でつまみとウィスキーを用意して夜を迎えた。

他にも、本を読んでる時、映画や舞台を観ている時、旅行中、などいろんな瞬間に会うことができた。

 

しかし、その「感覚」はだんだん顔を出さなくり始め、普通に酔っても会えなくなり、次第に会わないのが当たり前になってきた。

おやおや?そうか、これは彼女と別れた直後のように「ひとりでいることに対する非日常感」に最初戸惑うけれど、いずれそれ自体が日常になるパターンだな、さては。なんて思って悠長に構えていたら、どうもそんな感じじゃなく、ホントに何をどうしても会えなくなっちまった。

 

こいつぁ、弱った。。

なんかおかしい、、パワーが出ない。

 

もうどれくらいだろう…半年か、一年か、二年か…そもそも奴はどんな触り心地だったか…はてさて、奴はいったいなんだったか…。

思い出せぬが、どうやらこいつが自分にとってただごとじゃないってことは本能的に分かる。うまく説明できないが奴に会わないとこの先うまくいかないし、何より「俺のゴーストが奴を死ぬほど求めている」ってことで、ついに先週末の休日に「ヤシマ作戦」ならぬ「オフロ作戦」作戦を決行した。

 

土日まるまる主に体力系のタスクをガシガシこなし、買い物に行くのに電車を使わず10キロ歩き、日曜の夕方、クタクタ状態で風呂に入り、湯船につかりながら音楽をガンガンかけて、白ワインをガブガブ飲んで、頭降りながら歌っていたら…奴はひょっこり顔を出した。

 

奴=その「感覚」とは、すぐに同期できた。

 

そして気づいた。 

 その「感覚」とは、「感情」だった。

 

経験を重ね、技やスキルを身につけ、ロジックを組めるようになり

膨大な量の判断を「理性」でし続けてきたことで

「感情」が出てこなくなったのだ。

感情といっても、ほんとにもうなんも取り繕わない、誰にも見せられない、素の感情。自分さえ気付かない、気付きたくない感情。

 

もともと「理」より「情」の人間だと自覚していた。

どちらも自分ではあるが、「情」こそが自分自身らしさを多く持っている。

「自分自身」と会えなくなっていた事で、パワーが出ずに、違和感を感じていた。

そりゃそうだ、「情」という自分の本隊がなくなり、「理」という分隊のみで戦っているんだから。

なんか苦戦続きだ、また負けたぞ、作戦に一貫性が無い気がしないか、そもそもこの戦の大義はなんだ・・・

 

「何のために戦っているんだ俺たちは?」

 

きっと多くの人がこの状態になっているんじゃないかと。

仕事や生活の中で「情」より「理」を優先して、フル回転しているうちに

「情=らしさ=自分自身」を、徐々に失っていく。

 

自分の場合は、アルコールが最も「自分とリンクしやすい回線」だった。

なので、優先順位を迷った時に、ウイスキーを飲んで、いつでも自分の声を聞いて判断できたし、または声を聞いて安心することによりリラックスすることができた。

 

なんだろう、なんかここを解明していけば、いろいろクリアーになる気がする。

とりあえず、「感覚=自分らしい情」を封じ込めないよう、本隊と分隊で密なコミュニケーションをとるよう、全軍に指示をだしました。とさ。

 

ではでは。